坊平の一景から~2013初秋 [日常一景]
「ほたるぅ~」は初夏なので、初秋は・・・「かめむしぃ~」?・・・“北の国から”のようなタイトルにしてみました。
蔵王坊平で散歩をしながら、紅葉が来ていないか、探してきました。
・・・しかし、ほとんどの草木はまだ緑色のまま。・・・赤いのはウルシぐらい。
・・・ビール売り場は最近まで見事な紅葉に彩られていましたが、今日行ってみると、キリンの秋味は既に姿を消してしまいました。・・・本当の紅葉はこれからなのに。
本物の山には、オレンジ色の実。
全体が赤く、ここだけ秋色。
標高1000mから歩き始め、180m登ったようです。
急な“おしずゲレンデ”を登って、かなり体が熱くなってきたにもかかわらず、80m登っただけ。
ここでも赤いのはウルシのみ。
夕暮れが近づき、ゲレンデには長い影が伸びています。
ススキの穂がキラキラ輝いています。
眼下に見える平らな場所の一番先が駐車した場所。
道路にどんぐり。絵本のように秋らしく。
頭上にもどんぐり。
夕日が映って池の周りの葉っぱが赤みを帯びて見えます。
夕日が沈みます。
夕日はわが愛車が居る駐車場に沈んでいます。
蔵王坊平で散歩をしながら、紅葉が来ていないか、探してきました。
・・・しかし、ほとんどの草木はまだ緑色のまま。・・・赤いのはウルシぐらい。
・・・ビール売り場は最近まで見事な紅葉に彩られていましたが、今日行ってみると、キリンの秋味は既に姿を消してしまいました。・・・本当の紅葉はこれからなのに。
本物の山には、オレンジ色の実。
全体が赤く、ここだけ秋色。
標高1000mから歩き始め、180m登ったようです。
急な“おしずゲレンデ”を登って、かなり体が熱くなってきたにもかかわらず、80m登っただけ。
ここでも赤いのはウルシのみ。
夕暮れが近づき、ゲレンデには長い影が伸びています。
ススキの穂がキラキラ輝いています。
眼下に見える平らな場所の一番先が駐車した場所。
道路にどんぐり。絵本のように秋らしく。
頭上にもどんぐり。
夕日が映って池の周りの葉っぱが赤みを帯びて見えます。
夕日が沈みます。
夕日はわが愛車が居る駐車場に沈んでいます。
南湖公園の一景 [旅先一景]
まもなく10月。
ブログは8月からアップしていなかったのですね~
いやはや、今年は下の息子のミニバスケが忙しく・・・去年からもやっていたのですが、去年は4年生で全くの応援要員で、マネージャーと揶揄されていたくらいだったので、あまり付いていくことはありませんでした。・・・しかし、今年は春から突如5年生で唯一のレギュラーに加えられ、そうなると、周りの目・・・子どもが出してもらっているんだから・・・からも、行かないわけにはゆかなくなった訳です。
県大会で負けてちょっとブランクがあったけど、8月末からは毎週遠征、試合なわけです。・・・先々週になりましたが、そのひとつ、南東北三県対抗大会についていきました。
朝4時30分に起き、5時集合で福島県は白河市へ。
朝は少し涼しかったのですが、ちょっと湿気もあって、昼には蒸し暑くなりました。
・・・特に1日目に試合のあった小さいほうの体育館の中は、風が通らず暑い暑い。外の木陰のほうが涼しいくらい。
午前の試合が終わって、午後の試合は4時近くから始まるため、随分時間が空きました。
暑い体育館にいたくはないし、眠いけど、外で寝る気もしない。・・・せっかく初めて来た土地なので、近くを散歩でもしてみるか・・・。
体育館のある公園から南へ少し大きな道路を歩いていくと、道路標識に「南湖公園」という名前が現れました。
そう遠くないようなので、歩いてみることに。
ぢかぢか日差しが照りつける中を、少々起伏がある道を南へ。
坂を上りきって、少し下りかけたところで「南湖公園」への入り口がありました。
しばらく行くと、こんな景色が。
「南湖公園」について ~(財)白河観光物産協会ホームページより 12代白河藩主・松平定信(楽翁公)が「大沼」と呼ばれていた湿地帯に堤を作って水を貯め、庭園の要素を取り入れて享和元年(1801)に築造した場所です。 当初は単に「南湖」と称されました。南湖の名は、中国唐時代の詩人李白が洞庭湖に詠んだ詩「南湖秋水夜無煙」からと小峰城の南に位置することからと伝えられます。
「日本で最初の公園」とは!!・・・庭園なら、昔から京都にいっぱいあったけど、あれは寝殿造りなんかで貴族やお寺のプライベートガーデン。・・・これは庶民に解放された初めてのもの。・・・さすが、徳田新之助の孫。「世の顔を見忘れたか!」とは言わなかったでしょうけど、民のためを考えていたのでしょう。・・・松平定信は試験にも出やすい人ですよね。そうそう、寛政の改革です。・・・白河藩主で、田沼意次の政治に対し、おじい様の享保の改革に倣って、質素倹約を奨励したので有名です。
・・・さてさて、しかし今日は観光じゃない。・・・そろそろ戻るとするか。
と、暑い中、アスファルトの歩道を歩いて再び暑い体育館へ。
こう暑いと気分もだらけます。・・・子どもたちもだらけて、宿泊場所となったホテルではしゃぎまくりで寝不足。
集中力がキレキレで、なにやっとんじゃ~、な散々な内容でした。結果は優勝。しかし、お通夜のような帰り道でした。
ブログは8月からアップしていなかったのですね~
いやはや、今年は下の息子のミニバスケが忙しく・・・去年からもやっていたのですが、去年は4年生で全くの応援要員で、マネージャーと揶揄されていたくらいだったので、あまり付いていくことはありませんでした。・・・しかし、今年は春から突如5年生で唯一のレギュラーに加えられ、そうなると、周りの目・・・子どもが出してもらっているんだから・・・からも、行かないわけにはゆかなくなった訳です。
県大会で負けてちょっとブランクがあったけど、8月末からは毎週遠征、試合なわけです。・・・先々週になりましたが、そのひとつ、南東北三県対抗大会についていきました。
朝4時30分に起き、5時集合で福島県は白河市へ。
朝は少し涼しかったのですが、ちょっと湿気もあって、昼には蒸し暑くなりました。
・・・特に1日目に試合のあった小さいほうの体育館の中は、風が通らず暑い暑い。外の木陰のほうが涼しいくらい。
午前の試合が終わって、午後の試合は4時近くから始まるため、随分時間が空きました。
暑い体育館にいたくはないし、眠いけど、外で寝る気もしない。・・・せっかく初めて来た土地なので、近くを散歩でもしてみるか・・・。
体育館のある公園から南へ少し大きな道路を歩いていくと、道路標識に「南湖公園」という名前が現れました。
そう遠くないようなので、歩いてみることに。
ぢかぢか日差しが照りつける中を、少々起伏がある道を南へ。
坂を上りきって、少し下りかけたところで「南湖公園」への入り口がありました。
しばらく行くと、こんな景色が。
「南湖公園」について ~(財)白河観光物産協会ホームページより 12代白河藩主・松平定信(楽翁公)が「大沼」と呼ばれていた湿地帯に堤を作って水を貯め、庭園の要素を取り入れて享和元年(1801)に築造した場所です。 当初は単に「南湖」と称されました。南湖の名は、中国唐時代の詩人李白が洞庭湖に詠んだ詩「南湖秋水夜無煙」からと小峰城の南に位置することからと伝えられます。
「日本で最初の公園」とは!!・・・庭園なら、昔から京都にいっぱいあったけど、あれは寝殿造りなんかで貴族やお寺のプライベートガーデン。・・・これは庶民に解放された初めてのもの。・・・さすが、徳田新之助の孫。「世の顔を見忘れたか!」とは言わなかったでしょうけど、民のためを考えていたのでしょう。・・・松平定信は試験にも出やすい人ですよね。そうそう、寛政の改革です。・・・白河藩主で、田沼意次の政治に対し、おじい様の享保の改革に倣って、質素倹約を奨励したので有名です。
・・・さてさて、しかし今日は観光じゃない。・・・そろそろ戻るとするか。
と、暑い中、アスファルトの歩道を歩いて再び暑い体育館へ。
こう暑いと気分もだらけます。・・・子どもたちもだらけて、宿泊場所となったホテルではしゃぎまくりで寝不足。
集中力がキレキレで、なにやっとんじゃ~、な散々な内容でした。結果は優勝。しかし、お通夜のような帰り道でした。