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築城中の一景 [日常一景]

 大河ドラマ”天地人”は、まもなく”東の関が原”へ。
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 山形城は、長谷堂の合戦で直江山城守の軍勢と戦った最上義光が、東の関が原と呼ばれる上杉との戦いに耐えたことの褒賞で徳川家康から50万石を超える領土を安堵された後に整備しなおした広大な平城で、江戸城に匹敵する広さがあるといいます。現在、霞城公園と呼ばれる部分は、かつての二の丸で、35.9haの面積があるとか。
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 現在、山形市の霞城公園で山形城本丸の復元工事が行われていて、パワーショベルが忙しそうに動き回っています。以前、「”昭和の名城”の夜景」の記事で書いたとおり、城郭遺跡の復元をするには文化庁の承認が必要で、そのためには文献に基づく正確な復元でなければいけないのだとか。

 ・・・ということは、この工事も”幕府のお墨付き”があってのこと?でなければ減封や改易のお沙汰も・・・。

 東北では、会津若松城が最大の規模で、まさに上杉120万石や会津松平家の風格を今に残していますが、規模だけ言えば山形城はこれに次ぐものでは?と思います。いまの山形の街の半分ぐらいを三の丸が占めていたとか。

 会津若松城と山形城、”東の関が原”で戦っただけでない縁があります。・・・徳川秀忠の隠し子、保科正之は、会津若松城主になる前は山形城主でした。・・・もしかしたら、両方とも、頭脳明晰で徳川幕府の基礎を固めたとも言われる名君のお城だったから、立派なお城に整備するのも”幕府のお墨付き”が得られやすかったのかも?

 一方、現代の関が原を制した新政権はダムなどの工事中止を打ち出している・・・これから”幕府のお墨付き”を得るのは至難の業になってきた?官僚の皆さんは、くれぐれも”減封””改易”にならぬよう!?
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