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石橋のある一景 [日常一景]

昨日、仕事の後の“交流会”で交流してしまったが故に、南陽市の宮内にある蔵楽(“くらら”と呼びます。“はいじ”なら廃寺、“ぺーたー”なら・・・平太??)の近くまで車を取りにいかねばならなくなりました。

普通ならば電車を乗り継いで、ということなんでしょうが、面倒なので??自転車で行くことにしました。・・・約20kmぐらいの距離なので・・・。

国道13号は去年バイパスができたのですが、トンネルを自転車で通ると最悪なので、旧道に回ることにしました。それにしてもバイパスの歩道は未完成で道路の両側にないばかりか、信号もなかったりして反対側に渡れず行き止まり状態になってしまいます。・・・車が途切れたところを見計らって渡るしかありません。・・・歩道も旧道も、まさにミッシングリンク。

そんな苦労しながらようやく旧道に出ました。
こちらは日曜の朝ということもあってほとんど車は通らず貸し切り状態。
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そして、こんな石のめがね橋にも会えます。
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吉田橋・・・明治初期の山形県令、三島通庸が整備した石造のアーチ橋。
高畠町で採取される堆積岩、高畠石なんかが使われていて非常に趣があります。
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この橋の名前の由来は吉田さんが造ったからだとか。

普通、職人というものは名前が前に出てこないもの。普通ならば“三島通庸が造った”ことになるので、“三島橋”とか、もしくは地名を冠するのでしょうが。・・・この当時、石橋を造る技術に関して、人々がいかに敬意を払っていたか、ということの表れなのでしょう。一職人の確かな仕事というより、むしろ“吉田さん”だからこそ成し遂げられた先端技術として捉えたのかもしれません。


その後、技術の発達は交通機関、自動車を発達させ、より広い道路を必要とするようになりました。
三島通庸が指示して造った道路は狭くなってアスファルトの道路が新たに整備され、それもまた狭くなってよりスピードの出せるバイパスが建設されました。

鳥上坂の旧道です。
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昭和40年代、ここをうちのサニーやカローラが走っていました。昔の車はパワーがなく、冬はチェーンを巻かないと上れないし、夏はオーバーヒートする車が相次いでいました。・・・それで途中のドライブインが流行ったわけです。
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しかし、足→馬→性能の悪い自動車→性能のよい自動車と、交通機関が速く性能がよくなると、沿道のお店やまちは必要性を失い、より大きな町に集約化されていきます。

そんなこんなを思いながら宮内の蔵楽に到着。
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およそ20kmぐらいの距離・・・行きは自転車で1時間10分。帰りは自動車で30分でした。(正確に言うと帰りは坂道付きの近道でした)
前者のコストはせんべい4枚、後者はインサイトの燃費リッター28kmで120円ぐらい。

交通機関の性能や道路整備にコストを掛けるほど利益を得られる人が限られるような町になり、逆にそういうものにコストをかけないと、宿場町、ドライブイン、小さな集落や町のように幅広い人に利益を分配できるような地域になります。

自転車は気持ちいいけど、自動車の便利さには及ばないしなぁ~・・・“便利と分配”、両立させるよい方法はないものでしょうか?
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