SSブログ

地縁コミュニティの一景 [旅先一景]

宮城県女川町から石巻市方面に望む万石浦の一景です。
CA3A0300.JPG

このところ毎日靄が出て、湿度が高く、雨が降るとも降らないともつかないよう鬱陶しい日々だったのですが、昨日は晴れて夕方は気持ちのよい夕景になりました。

石巻市で震災復興のお手伝い・・・個人ボランティアですが・・・をしていました。
行政の復興プログラムが動き出してからはあまりボランティアの話が出ませんが、まだまだ仕事は残っています。というか、冬まで何処までできるか心配です。・・・特に女川町、牡鹿半島の方はまだ道路や電気が復旧していないところがあるそうで、心配な限り。


このたびの震災では、東北の人が土地や近隣の人々との結びつき=地縁が強く、それが仮設住宅への移転の障害になったとか、津波危険地域からの移住計画が進まないとか、そういう点がクローズアップされていますが、私は逆に都会の“無縁社会”というものへの不安が浮かび上がったように感じます。

今回、こんなことがありました。

私たちは近所の方のご好意で家庭のお風呂に入れさせてもらっていて、その日は6時半から入ることになっていました。・・・が、汗だくで汚れる作業は4時に終わり、5時には拠点に戻ってきていたため、正直早くお風呂に入りたい気分になっていました。

それで、東京近郊からボランティアで来ているAさんが「自分には相当親切にしてくれるので、お願いすれば早くとも入れてくれるでしょ」と言って、数人引き連れてお風呂をもらいに行ってしまいました。・・・そのお宅の方は「いいよ、いいよ、どうぞ~」と入れてくれそうですが、実はそのせいでおじいさんがゆっくり入れなかったようで、後から「ちょっと困った」とこぼしていたそうです。

それを聞いたAさんは「田舎暮らしって難しいな~。外国みたい。いいよ、って言われたからシンプルにいいと思ったのに。」と言うのでした。

・・・近所付き合いの全くない都会育ちの人にとって、田舎は理解し難い面倒くさいところだし、田舎の人にとって都会の人は気が付かない人に映るのかも知れません。・・・どちらも人が悪いということは一切ないのに。

田舎の地縁的コミュニティでは、好きか嫌いかにかかわらず、近所の人とはず~っと付き合っていかなければならないわけで、そのために必要なコミュニケーションをしなければならない訳です。・・・一方、都会の人は(下町などは違うのでしょうが)、そうした地縁的コミュニケーションをする機会がないため、このような一見複雑で不必要と思える対応は“異文化”と映るのでしょう。

どちらも悪い側面はあります。

地縁的コミュニケーションの中では、好きか嫌いかにかかわらず付き合うための知恵が働くわけですが、その弊害として、思い切ったことや新しいことがやりにくくなる面があります。一方で、都会では、必要な人としかコミュニケーションをとる必要がないため、振舞い方の“自由度”は高いわけですが、こうした地縁的コミュニティがない上に更に核家族化→少子化→非婚者の増と、どんどん個人が孤立化を深め、今や“無縁社会”とさえ呼ばれるようになっているわけです。

・・・コミュニケーションがあって、コミュニティがあり、それで社会が構成されるものならば、“無縁社会”って、矛盾した言葉を重ねているように思います。・・・であれば、それは社会の崩壊にも至る恐れがあるというこかもしれません。

都会の無縁化がこれ以上進まないように、また、被災したことで東北地方の無縁化が進まないように、と願うばかりです
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。