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秋色の一景 [日常一景]

秋は、今まで見えなかった色が急に現れます。
例えば、夏までにはただ緑色だったのが、黄色、赤、黄緑、茶色と、実は固有の鮮やかな色合いを隠し持っていたことに気づかされます。

道路に落ちた黄色のイチョウ。
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実から葉っぱまで真っ赤なナナカマド。
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オレンジ色・・・否、鮮やかな柿色に発色した、軒下に下げられた干し柿の色。
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これはなんでしょう?
秋でも6月のような鮮やかな黄緑。でも、この時期になってこの色になったような気がします。
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九州、中国、四国、近畿、中部、東海、関東、北陸と来て、東北ほどに秋の色合いが濃い地域は無いように思います。・・・小学校のときは、周囲の山が燃えるようで、登校のときに興奮するような、特別な日があったように記憶しています。

この、圧倒され、嫌になるような晩秋の強烈な色合い、今年は特に重たく感じるような気がします。

紅葉の季節の一景 [日常一景]

山の紅葉が深みを増してきました。
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今日は雨模様でしたが、雨上がりの紅葉は特にしっとりと色を増します。

道路に散らばった葉っぱにすら鮮やかさにハッとさせられます。
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さて、低木の生えた草むらで最も鮮やかな赤を浮かび上がらせているのが山漆。

漆はかぶれる、というイメージしかありませんが、紅葉はとてもきれい。
そして、細長いその木は、茅葺屋根の茅を押さえる木に最も適しているといわれます。

その理由は、虫が付かないから。

樹皮の付いた木は、雨や水に強いとされているためか、それとも細すぎるためか、茅葺屋根の押さえには、樹皮を剥かない木を使うのですが、普通、皮を剥かないで建材に使えば、皮の中に虫が付き、中から腐れ始めるます。

しかし、漆の場合、虫も“かぶれ”てしまうのを敬遠するのか、虫が付かないそうです。

虫さされの薬の裏には、「虫さされ、かぶれ」などと効能書きが書いてありますが、虫は薬を使えませんからね。

納車の一景 [日常一景]

納車~!Trek FX 7.4!

というわけで、18年ぶりの新車の納車です!
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となると、当然に気持ちは高まり、5kmほどのコースを走ってみました。

今までの思いっきりサドルを上げていたMTBに比べると、ずいぶんと体が起き上がった感じ。これが今の常識らしい。自転車がよいのか、自転車屋さんのセッティングが丁寧だったせいか、なんか、まるで「自分の足で走っている」かのような人馬一体感です!

ネット上でFXは「硬い」「お尻が痛くなるサドル」「太いタイヤで疲れる」とか言われているのを見かけますが、確かにフレームを感じさせる硬さがあるかも。でも、硬いタイヤを履けば当たり前、といった程度。サドルも肉薄な感じはありますが、別に痛くなるほどではないです・・・普段、段差でお尻を少し浮かせていますし。
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ブレーキやチェーンの調整確認のためにお店の周りを乗った時は、ずいぶんと軽く感じましたが、長く乗ると確かに思ったよりも路面抵抗を感じ、タイヤを細くしたい気持ちも分かるような気も・・・。とはいえ、ロードじゃないし、まち乗りを考えるとこの安定感はよいのでは?・・・通勤の場面では路肩を走ることが多く、舗装の縁にタイヤを取られかねません。

結論として、私のインプレッションは、“ホンダインサイト”。

なんのこっちゃ!とお思いでしょうが、こちらも現在の愛車であり、その特徴に多くの共通点を感じました。
1.フレーム感を感じる硬さがあり、シートも硬い。
2.ぺたっとした安定感とそこから来る意外な回転性。
3.フラットな直線でスルスルと走る感じ。
4.ネットのユーザーレビューで乗り心地の評価が低い。
5.4にもかかわらず、乗ってみるとそんな悪くない感じ。

本当の結論・・・
久々の納車の興奮状態で、まぁ、冷静なインプレッションなんてできぁしません!
タグ:Trek FX 7.4

河童も干上がる一景 [日常一景]

今年は梅雨明けが異常に早かった上に、暑さも異常。
例年7月15日は上山市の石崎神社例大祭・・・別名“かっぱ天王”と呼ばれる神社で、子供の頃、祖母がきゅうりを供えてお参りに行っていたのを思い出します。

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そんなかっぱ様のお祭りなので、毎年雨が降ることでも有名です。
子供の頃からも雨降りになることが多く、特にここ数年は梅雨末期の大雨の時期にあたり、見事に雨が降っていたのです。・・・しかし、今年は・・・晴天に霹靂もない。・・・いつか雨が降ると思っていたのですが・・・この猛暑でかっぱ様も干上がったのではないでしょうか?

その代わりといっては何ですが、お陰でのどが渇くこと。

自分は生ビールを次々と浴びるように飲みすぎ、翌日は無力な一日を送るはめに

・・・水分を相当無駄にしたために、かっぱ様の祟りを受けたか?

虹の下の一景 [日常一景]

「虹の下には何があるのかな?」

小学校1年生の国語の教科書で、クマさんだったかが、虹の下に行ってみたいと虹を追いかける話が載っていたように記憶しています。大人になれば分かるように、結末は「虹は消えて小雨が降っていた」という寂しい結末なのですが、何となく、いつかは限りなく虹に近づきたい、という思いがありました。

今日目にした風景・・・雷雨の中に突如現れた虹。
それも、なぜかほぼ真っ直ぐに立っている・・・。
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虹が造る弧に対し、相当角度のない場所だから真っ直ぐに見えるというのが分かります。
ということは、限りなく虹の真下に近いということ?

クマさんががっかりしながら見たように、やはり小雨が降っていました。


今日は東北地方も梅雨明けをしました。

昨日も一昨日も同じような天気で、お昼までは真夏のような、ムシムシっとした晴天で、午後3時ごろから土砂降りの雨・・・バケツをひっくり返したような雨か、雷雨。

気象庁が梅雨明けを判断する境界は何なんでしょうか?

昔はしとしと雨が降るのが6月で、7月は大雨になることもあって、そして梅雨明け、という感じでしたが、今年はというと、いきなり大雨、そしてこの3日間のような夕立の日が続き、それで梅雨明け。

なんか、梅雨を境に夏を迎える日本の四季が崩れ始めているような気がします。
いわゆる日本語が示す梅雨ではなく、インドや東南アジアのような雨季・・・Rainy season・・・英語の場合、どちらも同じですが・・・・そんな雨の時期になったように思います。・・・日本もいずれ雨季と乾季の二季になるのでしょうか?

石橋のある一景 [日常一景]

昨日、仕事の後の“交流会”で交流してしまったが故に、南陽市の宮内にある蔵楽(“くらら”と呼びます。“はいじ”なら廃寺、“ぺーたー”なら・・・平太??)の近くまで車を取りにいかねばならなくなりました。

普通ならば電車を乗り継いで、ということなんでしょうが、面倒なので??自転車で行くことにしました。・・・約20kmぐらいの距離なので・・・。

国道13号は去年バイパスができたのですが、トンネルを自転車で通ると最悪なので、旧道に回ることにしました。それにしてもバイパスの歩道は未完成で道路の両側にないばかりか、信号もなかったりして反対側に渡れず行き止まり状態になってしまいます。・・・車が途切れたところを見計らって渡るしかありません。・・・歩道も旧道も、まさにミッシングリンク。

そんな苦労しながらようやく旧道に出ました。
こちらは日曜の朝ということもあってほとんど車は通らず貸し切り状態。
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そして、こんな石のめがね橋にも会えます。
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吉田橋・・・明治初期の山形県令、三島通庸が整備した石造のアーチ橋。
高畠町で採取される堆積岩、高畠石なんかが使われていて非常に趣があります。
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この橋の名前の由来は吉田さんが造ったからだとか。

普通、職人というものは名前が前に出てこないもの。普通ならば“三島通庸が造った”ことになるので、“三島橋”とか、もしくは地名を冠するのでしょうが。・・・この当時、石橋を造る技術に関して、人々がいかに敬意を払っていたか、ということの表れなのでしょう。一職人の確かな仕事というより、むしろ“吉田さん”だからこそ成し遂げられた先端技術として捉えたのかもしれません。


その後、技術の発達は交通機関、自動車を発達させ、より広い道路を必要とするようになりました。
三島通庸が指示して造った道路は狭くなってアスファルトの道路が新たに整備され、それもまた狭くなってよりスピードの出せるバイパスが建設されました。

鳥上坂の旧道です。
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昭和40年代、ここをうちのサニーやカローラが走っていました。昔の車はパワーがなく、冬はチェーンを巻かないと上れないし、夏はオーバーヒートする車が相次いでいました。・・・それで途中のドライブインが流行ったわけです。
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しかし、足→馬→性能の悪い自動車→性能のよい自動車と、交通機関が速く性能がよくなると、沿道のお店やまちは必要性を失い、より大きな町に集約化されていきます。

そんなこんなを思いながら宮内の蔵楽に到着。
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およそ20kmぐらいの距離・・・行きは自転車で1時間10分。帰りは自動車で30分でした。(正確に言うと帰りは坂道付きの近道でした)
前者のコストはせんべい4枚、後者はインサイトの燃費リッター28kmで120円ぐらい。

交通機関の性能や道路整備にコストを掛けるほど利益を得られる人が限られるような町になり、逆にそういうものにコストをかけないと、宿場町、ドライブイン、小さな集落や町のように幅広い人に利益を分配できるような地域になります。

自転車は気持ちいいけど、自動車の便利さには及ばないしなぁ~・・・“便利と分配”、両立させるよい方法はないものでしょうか?

梅雨空の一景 [日常一景]

雨に~濡れなが~ら~佇~む人がい~る~という歌がありますが、今日の雨は傘をさしても濡れるぐらいの雨・・・一瞬たりとも佇むのは勘弁です。

昨日入梅したばかりとは思えないぐらいの粒の大きな本降り。

防水携帯なので、降ってくる雨が写るかどうかシャッターを押してみましたが、さすがによくわかりません。
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以前、長いキャリアを持つ映画カメラマンの方と小雨が降る中で立ち話してましたが、その方曰く、「消防ポンプで降らせるような、息ができないぐらいの雨でないとカメラには雨のように映らない」ということでした。本当にそのようです。

・・・だんだんと温暖化が進み、梅雨時の雨粒が大きくなっているように感じますが、いずれカメラに映るような超豪雨になってしまうのでしょうか?・・・しとしとと雨が降る梅雨は、三善英次の歌声とともに忘れ去られるのでしょうか?

タグ:梅雨
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ほぼ夏至の夕景 [日常一景]

明日6月21日は夏至にあたる・・・一年でもっとも日が長い日。

もっとも北から日が昇り、北に日が沈みます。

今日は夏至の前日。夏至イブ。ですが、1日前だから太陽系的規模で考えるとほぼ夏至でしょう。
冬至にはクリスマスがあり、クリスマスイブもありますが、夏至は何もありません。・・・冬至は一年でもっとも昼が短い日=その日から徐々に昼が長くなり始める“復活の日”ですが、夏至は、その逆なのでおめでたい日ではないのかも。・・・この季節、一年でもっとも気持ちよいのですが、そう考えると、なんか夏至は日曜日の夕方みたいで、ちょっと寂しくなります。サザエさんシンドロームになりそう。(ちびまるこちゃんや笑点はブルーにならないのでしょうか?やっぱり、次のサザエさんに期待感があるから?ならば大河や日曜劇場は眼中外?)・・・だとすると夏至の前日は土曜日の夕方か。じゃあ、一年で一番幸せ感がある日かも。

“ほぼ夏至”の今日の夕日は本当に大きく、赤く、きれいな夕焼け空を染めました。太陽にほえろの最後みたいな。
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夕焼けの次の日は晴れるといいますが、明日の天気予報は雨。
夏至の夕日は見れないようなので、今年は“ほぼ夏至”の夕日が実質夏至の夕日ということに。・・・一年で一番幸せ感のある夕日がきれいでよかった、そう思うべきでしょうか。

失われた橋の一景 [日常一景]

上山市の前川と宮川が合流する地点の少し上流、鉄橋の近くに人間しか通れない木製の橋がありました。

古さが趣を醸し出していて、まるで泪橋のよう。また一休さんが桔梗屋さんに向かう時にわたる橋のようでもありますが、ここしばらくは危険で、端も真ん中も渡れませんでした。

それで最近、撤去され、新しい橋が架けられるようで、工事が進められています。
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新しい橋はやはりコンクリートなのでしょうね。・・・本当は木製の橋であってほしいのですが・・・せめてジョーの棲家でも・・・きっと違った展開になるでしょうが・・・昭和の懐かしい風景は消え行くのみ。

記憶の一景 [日常一景]

上山市の西側に虚空蔵山(こくぞうやま)という小高い山があります。
頂上にはその名のとおり虚空蔵尊が祭られていますが、古くは高楯城という山城があったそうです。
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麓から頂上まで登るのに15分ぐらいしかかからない手ごろな高さの山だったことから、私たちが小さいころは、子ども同士でも登って遊んでいました。頂上から缶蹴りをした、というような話もありました。

晩秋だったのでしょう。麓には一面の薄野が広がり、その中で銀玉鉄砲で銃撃戦ごっこをしたものでした。
自分より背の高いススキの間を走り回り、「カサカサ」という音だけで人の気配を感じて銀玉を打ち込みます。・・・ススキで顔を切ったりしながらも、乾いた匂いと冷たい風が秋の終わりを感じさせたものです。

・・・そんな記憶が鮮明に残っているのですが、今となっては近くに行くこともないし、どこだか良く分からなくなってしまいました。・・・そこで、あれがどこで、今どうなっているかを確かめようと、散歩がてら行ってみることに・・・。

・・・たぶん、ここ。
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六角堂の横を抜けたところです。
季節が違うので、薄野でないのは当然ですが、なんか、記憶より広々とした感じがしません。そして寂しげ。


今日読んだタイム誌に“楽観の科学”という記事がありました。
それによると、「人の記憶はバイアスがかかっている。それは、将来を前向きに考えるために都合良い記憶にするから。つまり、記憶は将来を予測するためにするもの。」だとか。

・・・となると、ワタクシの「広々とした場所で枯れた匂いを嗅ぎながら、夕方まで遊んだ」という記憶は、何がしかの前向きな考えを導くためにそうなったとでも?・・・確かにこの記憶は何かスケールの大きい、ワクワクした感じが記憶として蘇ります。

そういう匂いやイメージがパッと浮かぶような記憶って、データ量にするとどれくらいのボリュームなのでしょうか?・・・友達への反応、ススキの擦れる音、匂いとか、顔の傷とか、そういう情報を送るとなれば、何GB/secでも足りないんじゃないかと思うわけです。

・・・テレビやネットの情報量って、ブロードバンドだとしてもたかが数0MB/secですよね。・・・体験から得られる情報に比べれば圧倒的な情報不足。・・・そう考えると、テレビやゲーム、ネットで育った子どもたちは、圧倒的な情報不足に陥っているはず。・・・きっと、海馬に記憶された情報量も落ちているのでしょう。・・・前の説によるのなら、常にバイアスがかかった記憶を引っ張り出し、将来を予測し、前向きな考えを保つのは難しくなるでしょう。

うちの子だけかもしれませんが、最近の子は反応が乏しく、悲観的というか、将来にワクワクする感覚がなく、受動的で、希望と異なる成り行きが眼前で展開されてもそれに対して何か抵抗するわけでなく、不本意な結果に「あぁ・・・(ブツブツ)」と独り言で愚痴るだけ、そんな傾向があるように感じます。・・・これって、経験情報の不足が原因なのでしょうか?これじゃあコミュニケーションにならないので、ストレスも溜まるでしょうね。

・・・日々を前向きに暮らすために、自分も子どもも、“都合の良い記憶”をどんどん蓄積させる経験を積まないといけませんね。

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